1. ソニーUK (1973~1986)
UK赴任後に各種の新規ビジネスに参入し、販売の拡大とともに業務用市場でソニーの知名度を向上し、大きな信頼を得、コンシューマー以外のソニーのビジネスを英国内で構築できた。
もちろんこれは結果であり、当初は心配するマネージメントも多く、いろいろと忠告もあったがまずはやってみてから考えようという気持ちで推進、失敗すれば私が責任を取って日本へ帰任すればいいのだと社内では云っていたものです。
これら新規ビジネス参入で得たことは、業界人の確保、その業界のしきたりや習慣を理解し、顧客(エンドユーザー)の課題、その解決方法、代理店の課題およびそれの解決方法など全くもって基本の事柄を推進してきたことに他ならない。
最初の新規ビジネスへの参入:
*1973年に英国に赴任、当初の業務は業務用VTR, U-maticをグローバル企業と米国で制約、その一環として欧州のこれらの会社にU-matic Systemを納入し、取り扱いの説明や故障のときのコンタクト先などを説明。英国から全欧州をカバーした。
もともと英国では、教育用のオープンリールVTRを販売しており、当初は全く別組織で運営されていた。これらグローバル企業はIBM, FORD Motor Companyで彼らの営業拠点である、ギリシャ、イタリア、ポルトガルなどが私の受け持ちであった。
もともとこのビジネスはソニーが開拓したビジネスのため、経験者は無く、英国人を新たに採用したり、既存の教育用/業務用VTRの経験者をトレーニングしたりして人材の確保を計った。
このU-maticビジネスが最初の英国での新規ビジネスの参入となった。
ターゲットの顧客は業務用に映像を必要としている事業所、しかし最初の大口顧客は残念ながらターゲットから少し外れたタンカーの乗組員に対するTV番組の供給であった。
代理店が放送局を説得して、テレビ番組をコピーをし、これらをまとめて10巻とか20巻のパッケージにしてタンカーに設置したU-matic,とモニターテレビに寄港地から供給、数ヵ月後に次の寄港地で新規に録画したテープに入れ替えるシステム。
このアプリケーションは遠隔地でのテレビ番組の視聴という新しいビジネスの展開となった。ソニーとしては、これら機器のメンテナンスが出来るように代理店を教育、またカセットテープの供給を確保し代理店の資金繰りの低減に貢献できた。
その後企業の映像情報ツールとして、Barclays Bank, NatWest Bankなどの大口顧客から大量のシステムを受注、ソニーの地位がナンバーワンになる礎を築いた。
*当初の事業部長が代理店に転出したため、交代の事業部長として私と性格が全く正反対の人をソニーの代理店から登用した。彼は業界で大変信頼されており、また顧客や代理店に対しても心のこもった対応をして業界全体から歓迎され、ソニーも大変よい人材を獲得した。
*またITVAなる民間組織が米国で立ち上げられ、欧州にも支部が出来、UK のBarclays Bankの担当責任者がトップになったため、メンバーの教育をソニーが引き受け、社内のStudioを開放、知識の向上に一役を担った。
*Wimbledon Lawn Tennis Clubに対してテニス開催中のVideo System Networkをテニス会場内に設Media, 取材、選手、観客などに画像を提供、その結果ClubよりSony Marqeeを持てる事になった。通常は空き待ちで何十年かかるかわからないものであったがソニーの貢献により特別に許可が下りた。これに顧客を招待し所謂エンターテイメントをWimbledonで開催できた。
*Video業界のチャリテイーの一環であるVision Ballを毎年開催、業界関係者500名ほどが年に一度ロンドンのホテルに集まる所謂“プライベート倶楽部”的な催しとなる。
*また代理店の育成を図るため販売コンペチションを行い、褒賞としてDealer Tripを米国、日本への勉強を兼ねた旅行を実施、旅の半分は休暇として Bermuda島やハワイ、アカプルコなどに立ち寄った。中でも圧巻はロンドンよりコンコルドでニューヨークに行ったこと。後々までそのときの話題が出た。
*1984年ごろから欧州全体の業務用機器のとりまとめを拝命しパン・ヨーロッパ代表として本社に対する新規商品の要望や、欧州の状況のとりまとめなどを推進。この時期に初めてU-matic の全世界同時発売が出来るようになった。
*これらの活動は英国の業務用VIDEOビジネスでナンバーワンの地位を築き上げた。
2番目の新規ビジネス参入:
英語文化圏で多く使用されているDictating Machine市場への参入を決め担当責任者採用のため、Birminghamで開催されたビジネスショーに行き、候補者を競合他社から引き抜くことを目標に、積極的にこれらの会社の人達と面談し、Dictaphoneの営業責任者に目をつけてソニーへの転職を勧誘、成功し入社してもらった。やはり業界の経験者なので代理店開拓や、営業スタッフの採用などスムースに進行した。その後この部門はビジネスシステム部門となりその部門長になった。ソニーにとって大変優秀な人材であった。
3番目の新規ビジネス:
View Data端末のビジネス。もともとソニーのカラーテレビ工場がウエールスにありテレビ技術者がこのView Data技術をBritish Telecomと進めており、カラーの端末を開発、これを販売することにした。販売に当たってソニー英国内でどのように使えるのかをテスト、効果も測定しそれらの結果を販売に使う戦略とした。社内のこの種の技術者は情報システムにいるが、この部門は本社直轄のため業務用ビジネスの組織内にシステム技術者をDECから採用、社内のアプリの開発に着手、業務用専用のアプリを持って企業向けに販売、営業スタッフも採用し、組織は上記のビジネスシステム部門においた。
業務用ビジネスの営業マンや代理店向けに情報を供給し所謂コンピュータネットワークに似たものが出来た。当時はコンピュータは専用回線で端末は白黒、遅い速度でバッチ作業のため情報の新鮮さにかけていた。これらをView Data端末で解決、英国ではMidland銀行に1,000台の納入の契約を獲得。またHong Kong Telecomの顧客にも販売した。
4番目の新規ビジネス:
ソニー本社で米国向けに販売を展開していたA-4サイズのWord Processorの導入に踏み切った。これによりDictating MachineとWord Processorを秘書が使うことになり、ソニーの知名度の利用が生きて秘書間での評判が大きく向上した。このシステムも経験者が無いのでMarketing, Salesを競合他社から採用、組織もビジネスシステム内に置く。
これらの商品群やシステムにより、ソニーの知名度の向上が計れた、いま少し大きく飛躍し業界での信頼を向上するため、House of LoadにおいてソニーのReceptionを開催した。これはひとえに、ビジネスシステム代理店の中に貴族院の議員(MP)の方の尽力によるものであった。私も生まれて初めて貴族院でのスピーチを行った!
5番目の新規ビジネス:
録音業界がアナログ録音からDigital 録音になる過渡期であり、ソニーのMastering 用のPCM RecorderをRecording Studio向けに販売、これにはもともとMusician であった人を採用し、レコード業界にデモを行い、Digital Recordingの良さを試してもらった。Abbey Road Studioなどにも訪問、またWales のNimbus Recordでのデモも社長の大賀氏を交えて開催した。今現在のMasteringはほとんどがDigital Recordingに変わったがその時点ではまだ懐疑的な録音技師(職人)が多く、Nimbusは3種のレコードを製作して評論家に配ってコメントを求めた。3種とは、Digital Recording, Digital Masteringから45回転アナログレコードに、スーパーアナログ・レコーダーからMasteringして45回転のアナログレコードに、3つ目はDirect cuttingし45回転のアナログレコードにしたもの。
どれが一番聞きやすく、生の音場を再現しているか判断してもらう物であった。
正解者は大変少ない結果であった。
6番目の新規ビジネス:
Component Business.このビジネスはソニーの顧客がパソコンメーカーであることで営業も技術者が主に活動、英国でも業界のSales Engineerを採用し、独自で市場開拓を開始。英国では調度パソコンメーカーの立ち上げが始まりつつあり、その波に乗って3.5インチFDDをメインとした販売活動を行い5000セットの受注にこぎつけ、本社に発注、本社が仰天したが、無事納入が出来た。その後本社から欧州向けのComponent Business組織を立ち上げて専任者も赴任、英国のスタッフはその組織に組み入れた。
7番目の新規ビジネス:
放送局関連ビジネスをソニーとしえ立ち上げるため業界のトップをヘッドハント。
IBAのトップを採用し欧州全体の放送局ビジネス開拓に責任を持たせた。このときは本社の社長である岩間氏とともにWinchesterにあったIBA(Independent Broadcast Authority)を訪問、トップのHoward Steeleと面会した。
顧客セグメンテーションなのでいろいろとぶつかることは多かったが、英国ソニーとは友好的に推進でき、私の放送局ビジネスのかかわりはSony Broadcast Limited が設立された時点で移管した。
ソニーUKでのまとめ
1973年からのソニーUKは従来のコンシューマービジネスの強化を図りながら、業務用ビジネスを拡大し、営業利益率は断トツの成果を上げた。各種の新規商品やシステムが本社から供給され、それを市場に如何にスムースに導入できるか、信頼を勝ち得て大きな利益につなげるか、などチャレンジが多かったがその結果も楽しめるものであった。
ソニーも丁度ビジネスの拡大時期にあたり、日本以外での販売強化、信頼性の向上、業務用ビジネスへの進出、大きな利益率の確保などソニー全体の方向にのってこれらの新規ビジネス参入が可能となった。これは私にとって大変ラッキーなことであった。
またこのケース・スタデイーには載せていませんがコンシューマー用のBetamax導入に関しても導入時は私の責任下にありコンシューマーの代理店500名ほどをロンドンのホテルの集め会長の盛田氏を招いて大発表会も開催した。
ビジネスの拡大も重要でしたが、所謂社会貢献や寄付といった事柄も学び、Video Dealerからソニーに対するお礼に関しても、盲導犬の寄付でお願いをしたり、企業向けのトレーニングをソニーのVideo Studioで開催したり、Wimbledon Lawn Tennis Clubとの繫がりや、Price CharlesのPolo Gameを観戦したり、日本では経験できない事柄を経験した。
また顧客と売り手(ソニー)が対等であることを再認識された顧客との関係、特にBarclays Bank の第2回目の受注に関しては、担当責任者から一報が入り、チャンパンを持ってソニーの事務所に行くといって、本当にシャンパンを持参してお祝いに駆けつけてくれた。また彼ら顧客を自宅に招待しての食事会なども開催して英国生活を満喫できた。英国人の感性やかつての大英国帝国の面影を垣間見た気がしたものです。
これらの友人からMarketing Societyのメンバーになったらとのことで紹介されてメンバーになった。英国のメンバー組織はすべて既存会員の紹介によるものであり、その後
取締役の“倶楽部”であるInstitute of Directorsのメンバーにも推薦され、数回の面接、食事会の後で正式にメンバーとなった。これにより英国政府主催の当時のM. Thatcher主催のIT 関連のランチミーテイングにも招待された。
英国時代にはほとんど日系関連の会合(たとえばEIAJなど)には出席しなかった、必要が無かった。
コメントをお書きください