2. ソニー本社(1986秋~19891月)

 

2. ソニー本社(1986秋~1989 1月)

 

本社へ帰任後拝命したのがR&Dマーケッテイング部長、業務は研究所の成果物の

 

ビジネス化、所謂Incubation. しかしソニーの中でのIncubationは大変に難しい。

 

マーケッテイング力、販売網、業界に不慣れ、研究者の安易で希望的な、夢を見てい るようなビジネスに対する過剰なる期待、などで人員も不足しており前進することす らままならぬ状況。研究開発企画書を閲覧してもソニーの方向が全く見えない状況。

 

これではR&Dマーケッテイングとして推進するよりももっと重要なソニー本体の研 究開発関連の見直しが必要と感じ担当の副社長に相談。

 

結果R&D改革プロジェクトの発足となり、そのリーダーとなる。スタッフもつけ てもら いHearing開始。集まった意見を分析してみると;

 

a) 研究所、ビジネスの開発部門などと重複のテーマが多い

 

b) ソニーのビジネス領域が規定されておらず、あらゆる分野に研究がなされビジネスに活用できることはあまり考えられていない

 

c) 基礎研究とされる材料関連が少ない

 

d) 事業部のビジネスに活用できる研究がなされていない等が挙げられる。

 

 

 

そこで主に研究所の所長さんや一部の事業部の事業部長や開発部門の責任者に対してプロジェクトチームから質問をし、その回答を会議の席上で述べてもらう事になった。

 

 

 

本社の役員室で全取締役を招いての会議を開催、当初社長の大賀氏からマネージメントに対する批判か?とのコメントがあったが具体的に説明し了解を得て、議事が進行した。

 

その結果大賀氏からのアドバイスで、これだけの役員が集まっているのだから、いま少し自由に意見を述べられるようにビールでも飲みながら話そう、との助言が出た。ご存知の如くに大賀氏は飲酒はされないがこの助言により会議は友好的に終了。

 

終了後、役員からは大変有意義な会議が出来たとのコメントを頂いた。担当副社長からお前の業務はこれで終了、改革の実施は研究者に担ってもらうとのこと。

 

これで無罪放免!約3ヶ月の突貫工事であった。企業の研究開発は所謂機密度が高く誰の手にも負えない状況であったが、無事に終了できたことはスタッフの方々や当時の研究所の所長さんに感謝をしたい。

 

 

 

VideoComプロダクツ事業本部

 

組織変更があり新たな事業分野として既存技術を活用した通信関連ビジネスに 参入することになりこの事業本部が出来た。商品企画、商品戦略の部長として参加、まずは技術の洗い直しと商品の計画を把握、競合他社の強み、弱みなどの調査、しかし内容は大変乏しく商売になるような種はほとんど無いことを実感。

 

唯一カラーの画像伝送装置があり、これを各国の通信オペレーターに向けてデモを機器持参で実施、意見を取りまとめて本格的な商品企画をスタート。

 

事業本部自体が寄せ集め部隊であり、なかなか本部としての意思の統一も進まずどの新規事業本部にある課題を抱え、事業領域の策定に時間を費やした。

 

在籍役18ヶ月の間、米国および欧州の通信オペレーターにデモをして歩き、多くのコメントや助言を頂いた。中途半端ではあったがこの時期に本社の副社長

 

で米国ソニーの社長から突然の電話、本社の副社長のところに会いに来なさい。

 

そこで米国赴任の要請があった。