3. ソニーアメリカ (1989~1992末)
*NEWS Work Stationビジネス
この米国赴任は本社副社長じきじきの要請で、米国ですでに販売を開始している
ソニーのWork Stationビジネスを、経営層にわかる言葉で、どの市場に対して
販売できそうなのか、競合他社の状況は、他社と比較して勝ち目のある商品か。、
どうやって販売すれば最も効率よく販売し利益が上がるのか、今後の投資は
どれくらいかといったことを短期間でまとめ報告してほしい。との要望であった。
また本社の副社長からは、販売可能な同化の判断を出来るようにし、投資が必要
ならどれ位あれば何とかなるのか、ならないのか短期間でやってほしいとのこと
であった。
Company Presidentで赴任したが、米国ソニーの人事から最初の仕事は現在いる
社長の解雇。これには驚きであった。米国ソニーの従業員を解雇できなくしてい
る理由は本社の担当役員が採用した人事なのでその担当役員が解雇しないと問題
が出る恐れありとの事でとりあえず私が解雇宣言をすることになった。
本人はそろそろ解雇になるようなことを感じていたので話し合いで比較的友好的
に解決が出来た。
その後、オペレーションに入って調査を開始するといろんな事務処理面でソニー
のポリシー違反が多々発見しそれらの収拾に事情聴取や解決に時間を要した。
それらと同時進行で展示会での発表の準備やスピーチの原稿準備、推敲、などPR
会社と打ち合わせをもち発表会に望んだ。
市場調査や競合調査も進め、ソフトウエア開発会社に対する投資なども推進しな
がら今後の方向付けをするためのまとめ作業に入る。
結論としてトップに報告した事柄は;
*競合他社の技術者の数は本社のソニーの技術者の数よりははるかに多い
*競合他社、例えばSun Microに関しては彼らのオフィスのビルの数がソニー
の技術者の数より圧倒的に多い
*O/Sの追加(AT&T System V.4)が必要である、これによりソフトウエア
のportingが容易となる。
*Chipsetの変更が必要(CISCからRISC Chipset)
*市場はソフトアプリを活用する時代に突入、したがってソフトウエアの
ソニーNEWSへのPortingが必要になる。
*導入当時のソフト技術者用開発ツールとしてのコーデイングはいまや使われ
ていない。ほんの一部の技術者が使っているだけ。
*したがって技術者の大幅増員、ソフト開拓の投資拡大、これらによって本社
ビジネスをサポートするとともに米国でビジネスの立ち上げを可能に出来る。
*しかし競合他社はHP, IBM, Sun Microsystems, SGI,などがあり利益が出る
オペレーションには到達できないであろうとの見解
これらをまとめて本社の社長に報告、投資総額3年で150億円の要求をした。
社長は即座に却下、したがって生き残り作戦を本社の担当役員と開始し、技術
者の50%増員で日本向けの支援を確保し、米国のオペレーションは販売部門を
閉鎖することになった。約9ヶ月の業務で一段落。
NEWSビジネスのまとめ:
*技術者の採用に関してシリコンバレーでの優秀な技術者の採用は通常の給料
では雇えない、シリコンバレーで優秀な技術者を採用するのにはストックオプ
ションが活用されている。ソニーアメリカの人事や本社の人事にも掛け合って、
ストックオプションを設けてもらうよう働きかけたが、要領を得ない返答。
その理由は日本日本の商法で上場企業のストックオプションは禁止されている。
ストックオプションはVenture企業のみで許可されていた。この時点では確か
に不可能であった。後の1997年の商法の改正で許可になったと理解している。
これはソニーにとって弱みではあるが、別の仕組みのボーナスでしのんだ。
今でこそ、ソニーも他の日系企業もストックオプションなる有効的で且つ企業
にとってコストの小さいパッケージが実施されているが、ソニーのようなグロ
ーバル企業といっているところですら、実施できなかったこと非常に残念であ
りを優秀な人材の採用がいまいち米国では発揮できなかった。
シリコンバレーでの貴重な経験であった。
*またこのNEWSビジネスのアメリカ進出はビジネスとしては残念ながら大
失敗と思う。競合他社の状況や、技術トレンド、市場の変化、アプリケーショ
ンの多様化などを純分に事前調査をしてから焦点を絞り込んだ進出戦略を用意
すべきであったと考える。アメリカ市場進出後の各種の後始末であったがその
ときにInternetなるものの将来性、コンピュータビジネスの何が重要かといっ
た勘所に関しての勉強はたいへんに参考になった。
*SonyTranscom (Air Lines 向けのエンターテイメントビジネス)
ソニーUSAがSandstrand社より買収、ソニーの一員となった会社でFAA
関連の認可を得られウ特殊技術があり顧客は英国航空、ユナイテッド航空、
全日空など。ソニーのコンシューマー機器を改造してFAAの認可をとり高額で
システムを納入。またメンテナンス契約も順調で思ったより利益が出ていた。
しかしソニーUSAではたいへんにリスクを気にしており保険をかけたりした。
このビジネスモデルが航空会社向けであり、受注にこぎ着けるのに多くの費用と
時間がかかりSGA比率が高く、ビジネスモデルの変更が必要になった。
日本人としては二人めのEVPであったが、本社の担当部署も変更となり継子扱い
であった。そのころ丁度本社の技術がDigital Audio関連の技術を利用した
Distribution SystemをBoeingに採用を働きかけ始めた。
この市場の競合はPanasonic , Hughes,などであり,ここでも日本メーカー同士の
戦い。日本の技術者が丁寧なアプローチをBoeing技術者に対して行い最終のテス
トを経てBoeing 777に採用が決定、米国ソニーの社長である盛田正明氏に臨席を
お願いしてBoeing本社で調印を行った。契約は1995年度の最初の777から10
年間という長期にわたるものでこれにてビジネスモデルの変更が出来た。
Sony Transcomのまとめ
*ソニーにとっては未知のビジネスであり少なくともビジネスモデルの変更で
ソニー本社の心配事は低減できたと考える。
*外見は華やかなビジネスに見えるが中はたいへんな作業で地道な努力の積み重
ねが大きな成果に結びつくことを実感した。
*企業文化はなかなか変わるものではなく、変えようと思っても換わらない。
本格的に変えたいのであればマネージメントの交代が必要と考える。社員はオー
ナーが代わっただけであり、むしろ新しいオーナーが積極的に投資をしてくれる
と思い込んでいた感じがする。この根本にある社員や目ねー地面との文化が本社
のマネージメントとしっくり行かない状況を作り出したと考えます。
最初の段階で間違えをおかしてしまった感じが否めない。このような買収はソニ
ーでは何回かあったが(例えばドイツのWEGA社の買収)ある一定の時間を経
て何とかソニーの文化に溶け込んだがこのTranscomの場合、全く溶け込まなか
った、むしろ我が道を行くスタイルをSandstrand社やってそのまま継続した感
じであった。これは残念というよりむしろソニーの文化に染まらなかったのがよ
かったのかもとも考える。現在は他の同業者に売却した。
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